五 川田の石造文化財

894 ~ 896

 川田地区には、市文化財に指定されている塚本の宝篋印塔(ほうきょういんとう)をはじめ、二七〇点ほどの石造文化財が『長野市の石造文化財』第三集に記載されている。このうち八九基が巡拝塔で、小出の東明寺(とうめいじ)境内だけで八七基ある。いずれも後背型で弘法大師座像が線彫りされている。三二番は欠落しているが「四国一番」から「四国八八番」まである。巡拝塔に次いで多いのは地蔵菩薩像で二一体がみえる。道祖神は保科や綿内に比べると少なく、一〇基だけであるが、若穂の道祖神の特徴の男女双体像は六基ある。文字碑は四基であるが、領家のものは「道陸神(どうろくじん)」の刻銘で、字は川村麒山(きざん)の揮毫(きごう)したものである。


写真6 町川田下組の双体道祖神(若穂公民館提供)

 今も地域の人びとに信仰されている石造仏では、下和田の虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)がある。下和田では虚空蔵講が組織され、毎年一回祭礼をおこなっているという。保科川扇状地の末端部で湧水に恵まれている塚本・下和田には弁才天の石祠(いしぼこら)。舟渡しにたずさわった人びとが、水難除けを祈願して造立したと思われる関崎橋東たもとの山状角柱の水天宮。常に水害に苦しんだ牛島の水神の石祠。町川田(川田宿)の火伏せの神を祭った秋葉山(あきばさん)の石祠。これらの石造文化財は、いずれもその集落の立地条件が生んだものといえよう。

 塚本王子塚の上にある市文化財の宝篋印塔は、高さ二・一メートル、南北朝時代後期(一三五〇年ごろ)のものと推定されている。段上に反花(そりばな)のついた二重基壇のうえには、輪郭付格狭間(こうざま)の基礎を据え、そのうえに四方仏を彫り出した塔身を置き、軒下を請花(うけばな)で飾った笠をのせている。四隅の隅飾りのうち、前方右部は欠損し、四段の笠上には輪郭付きの露盤(ろばん)をつけている。露盤上の相輪(そうりん)は石質・形状ともに別材で、当初のものは失われている。基壇前面に刻まれた銘文は、風蝕(ふうしょく)のために崩れて判読は困難である(『若穂の文化財』)。