一 神社

896 ~ 897

 長田神社 小出 ①祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)・豊受大神(とようけのおおかみ) ②由緒 信濃国御厨(みくりや)神明宮の一つである。『神鳳抄(じんぽうしょう)』に「外宮(げくう)長田御厨二百八十丁、上分四丈布二百段、神馬(しんめ)二匹、雑用布百段、一名保科」とある。長田(ながた)御厨神明宮は保科郷の総社(そうじゃ)であった。したがって代々の国司の免役があったことが『中右記(ちゅうゆうき)』にもみえる。鎌倉時代には保科御厨と『吾妻鏡(あずまかがみ)』にもみえ、外宮の料地であった。松代藩主も社領を寄進し、天保(てんぽう)六年(一八三五)禁礼を出して境内取締りをした。明治十一年(一八七八)、「神明宮」を「長田神社」と改称した。同四十一年、村社小出神社やその他の神社を合祀(ごうし)し、郷社に昇格した。


写真7 長田神社参道 保科・長田御厨の神明社として近郷の人びとの崇敬をあつめた

 町川田神社 町川田 ①祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと) ②由緒 町川田村の産土神(うぶすながみ)。明治九年「諏訪宮」を「町川田神社」と改称した。弘化(こうか)四年(一八四七)三月二十四日の善光寺地震で、諏訪宮の石造鳥居が倒壊したことを、神主が村役人と連署で寺社奉行所に届けている(「諸案文日記扣」)。七年ごとに御柱祭りが盛大におこなわれている。

 牛島神社 牛島北組(うしじまきたぐみ) ①祭神 大日霊命(おおひるめのみこと) ②由緒 平安末期ごろ大室牧の境域に牛島が成立し、この地の牧人によって伊勢社が勧請(かんじょう)されたと伝えられている。しかし、千曲川の流路の変遷や洪水により社殿はたびたび流失し、それを今に伝える記録はない。今日、境内社となっている石祠(いしぼこら)の皇太社は、三回目の建立という。石祠には建立年月の刻銘はないが、風化状態から時代のたったものと思われる。また、慶安(けいあん)元年(一六四八)水害を避けて、保科の赤野田(あかんた)に入植した牛島村の三人の百姓によって赤野田新田村が成立した。このとき、産土社として牛島村の神明社(皇太社)を分祀(ぶんし)したという(赤野田神社文書)。現在の本殿・拝殿は、文政(ぶんせい)元年(一八一八)に再建されたもの。明治十一年(一八七八)現社名に改称し、同四十一年地区内にあった皇太社・秋葉社を境内社として合祀した。神社の幟は、牛島村の地頭であった松代藩家老小山田家が代々染筆したという。