二 寺院

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 東光寺 曹洞宗 町川田 ①本尊 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ) ②山号 医王山(いおうざん) ③由緒 松代町豊栄(とよさか)の明徳寺(めいとくじ)末寺。寺紋に六文銭を用い、除地高四石三斗二升七合であった。天文(てんぶん)二十三年(一五五四)玉山春洞(ぎょくざんしゅんどう)により開山された。享保(きょうほう)十八年(一七三三)第十一世定山要禅(じょうざんようぜん)により再建され、松代藩士鹿野(かの)氏が中興開基となっている。寛延(かんえん)二年(一七四九)民礼甲国(みんれいこうこく)によって庫裏(くり)が再建された。薬師堂・衆寮・六地蔵・山門などがある。寺の西山の尾根に古城山城跡がある。明治五年(一八七二)学制発布により東光寺に第二一番学校、長田学校が置かれた。

 西光寺 曹洞宗 小出 ①本尊 釈迦牟尼仏 ②山号 虎嶺山(これいざん) ③由緒 松代長国寺の末寺。松代藩主側室「於慶の方」の発願により、寛永(かんえい)十七年(一六四〇)大承(だいしょう)により開山された。現在の本堂は享保十年に再建された。その後衰退し、文化(ぶんか)十一年(一八一四)昧鳳(まいほう)が再建したという。また、現在地より北東約一キロメートルのところに寺屋敷の小名があり、創建当初はそこにあったと伝えられている。

 万福寺 真言宗智山派 塚本 ①本尊 聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ) ②山号 轟山観量院(とどろきさんかんりょういん) ③由緒 保科清水寺(ほしなせいすいじ)末派。天文十七年恵照(けいしょう)・轟玄蕃(とどろきげんば)によって開山された。本堂は、焼失後の寛政(かんせい)五年(一七九三)に護摩堂(ごまどう)として再建されたもので、現今はそのまま本堂として兼用している。十王などの仏像は、もと大門地籍にあった十王堂に安置されていたもので、廃堂により明治四十三年万福寺(まんぷくじ)に移された。境内には戸隠社・金毘羅(こんぴら)社があって「文政三辰稔(たつあき)、奉造金比羅社頭一宇」の棟札もある。社殿内に弁才天・大黒天像とともに天神社に祭られていた「綱引(つなひき)(敷)天神」像も合祀(ごうし)されている。

 東明寺 曹洞宗 小出 ①本尊 千手観音(せんじゅかんのん) ②山号 常照山(じょうしょうざん) ③由緒 保科清水寺(せいすいじ)末派。慶長(けいちょう)二年(一五九七)秀慶(しゅうけい)によって開基創建された。当寺はかつて當明寺(とうめいじ)といい、この地の豪族小出氏の菩提寺として厚い信仰を受け、天文元年小出信濃守信之(のぶゆき)、小出只見當明による開基説や、屋敷跡も残されている。境内の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、安永(あんえい)八年(一七七九)に建立されたもので、「当寺中興開山・法印慈円」の供養銘が刻まれている。本堂右手の山麓(さんろく)斜面には、八七基の四国八八番霊場巡拝塔が並んで建立されている。

 安楽院 真言宗豊山派 牛島 ①本尊 千手観音 ②山号 普門山(ふもんざん) ③由緒 須坂市日滝(ひたき)にある蓮生寺(れんしょうじ)の末寺。檀家はなく、組寺となっている。創立年代・開基僧は明らかでない。『信濃宝鑑』によると日滝蓮生寺が永正(えいしょう)十年(一五一三)の火災で堂舎はすべて焼失したので、同寺の檀林職(だんりんしょく)(学問所)は末寺七寺が分担して勤めたとある。この文面から当寺は、約五百年に近い歴史があるものと推定される。小梵鐘(しょうぼんしょう)には「信州更級郡牛島村 寛政六年」と銘文が刻まれている。明治五年学制が発布されると、院内に牛島学校が開設され、同十九年、川田小学校へ合併するまで多くの子弟を送り出した。

 蓮生寺 浄土宗 牛島 ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号 熊谷山阿弥陀院 ③由緒 現在は組寺で檀家はない。元久(げんきゅう)年間(一二〇四~〇六)蓮生(れんしょう)(熊谷次郎直実(なおざね))によって開基創建されたという。その後、建長(けんちょう)年間(一二四九~五六)善戒が中興し、「熊谷山阿弥陀院蓮生寺」と号した。建治(けんじ)(一二七五~七八)・弘安(こうあん)(一二七八~八八)のころ千曲川の洪水によって堂舎は流亡した。応永(おうえい)年間(一三九四~一四二八)明憲によって再建されたと伝えられている。本堂の老朽化にともない、昭和二十六年(一九五一)取りこわされ、同三十五年小出の西光寺観音堂を譲り受け、現在の本堂とした。本堂に安置されている木造「熊谷次郎直実」座像(高さ三二センチ)に「承元(じょうげん)元年丁卯(ひのとう)九月四日」の銘がある。本堂に安置されている木造座像の賓頭盧(びんずる)は、弘化(こうか)四年(一八四七)の犀川大洪水のとき、犀口より流されてきたものという。また、この大洪水で蓮生寺の釣鐘が高梨(たかなし)村(現須坂市高梨)に流れ着いたと記録にある(「大地震・大洪水日記」川田・師入卓爾(たくじ)蔵)。