関崎の渡し

908 ~ 908

関崎の渡しは、町川田村と更級郡真島村(現長野市真島町)のあいだの千曲川の渡し場で、江戸時代の松代領内七渡しの一つである。北国脇往還および保科道の渡し場で、本街道の丹波島宿へと継いでいる。船一隻が常備され、水主(かこ)四人、うち船頭一人と定められていた(「朝陽館漫筆」)。七渡しのなかで一番規模が小さかった。藩からの給米はなく、繋籾(つなぎもみ)と称して近隣の関係村々から籾(もみ)を取り集めることを許されていた。船賃は一渡し平水のときは一〇文、出水のときは二二文と定められていた。この船賃は他領の旅人から徴収し、領民からは徴収しなかった。徴収した籾や運賃は、船頭・水主の報酬となった。