寛保(かんぽう)二年(一七四二)七月下旬から降りつづいた大雨により、八月一日千曲川大洪水「戌(いぬ)の満水」となる。この洪水による川田地区の被害はつぎのようであった(『松代満水の記』)。
牛島村 流失二二軒・潰れ家五〇軒・残家半潰れ、二六人不明。
東川田村 一九軒押流れ、田畑残らず砂入り。
関崎村 船頭家四軒、人数二六人のうち二人残り、残らず流死。
町川田村 一八軒流れ家、流死四人、山抜け四ヵ所。
小出村 用水川除(かわよけ)おし払い、田畑残らず川欠け砂入りとなる。
戌の満水
寛保(かんぽう)二年(一七四二)七月下旬から降りつづいた大雨により、八月一日千曲川大洪水「戌(いぬ)の満水」となる。この洪水による川田地区の被害はつぎのようであった(『松代満水の記』)。
牛島村 流失二二軒・潰れ家五〇軒・残家半潰れ、二六人不明。
東川田村 一九軒押流れ、田畑残らず砂入り。
関崎村 船頭家四軒、人数二六人のうち二人残り、残らず流死。
町川田村 一八軒流れ家、流死四人、山抜け四ヵ所。
小出村 用水川除(かわよけ)おし払い、田畑残らず川欠け砂入りとなる。