牛島の太々神楽

917 ~ 918

牛島の太々神楽(だいだいかぐら)は神輿(みこし)をかつぎ、神楽囃子(ばやし)を奏で村中を練り歩く神楽道中と牛島神社の神前に獅子舞(ししまい)を奉納する獅子神楽からなっている。安永(あんえい)九年(一七八〇)牛島村に与えた松代藩勘定奉行の「御諭条」(若穂牛島 倉島均蔵)に「その方どもは常々曲道具などまで拵(こしら)え置いて稽古(けいこ)し、上達した者のなかには、他村へ出かけて教えている者もいるようだ。ありふれた神楽獅子舞と違って、一朝一夕に覚えられるものではない。練習に身が入り過ぎると自然と百姓家業がおろそかになってしまう。今後神楽獅子舞の練習は慎み、農業に出精すべきである」とある。この文書からおして牛島太々神楽は、二〇〇年以上の歴史をもった郷土芸能といえよう。神楽囃子は横笛が中心で、太鼓には横胴・小胴があり、道中囃子は二人で、獅子舞囃子は両太鼓を一人でたたく。牛島の神楽獅子は女獅子で、「獅子頭持ち」と、「後持ち」二人の三人で舞う(『牛島区誌』)。

 川田地区の太々神楽は牛島のほか、領家・塚本・大門・小出にも長田神社敬神団によって太々神楽が伝承されている。小出組の獅子だけが男獅子で、他の三組は女獅子である。「後持ち」は四組とも一人である。