敗戦の混乱を乗り越えて

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多くの国民が、敗戦の虚脱感におちいっていた昭和二十年(一九四五)九月、川田の大門では「踊ろうよ!復興踊り」をと長田神社境内で太鼓や唄に合わせ、にぎやかに村の老若男女が踊り興じた。新しい日本の建設は復興踊りからと、その意気込みと解放感を踊りに表現した。十一月には自主的な川田村青年団が結成され、翌年四月には演劇大会を開いた。牛島青年団では農村生活体験の創作劇「農休日」(昭和三十五年)、「台風」(三十七年)、「埃(ほこり)」(四十年)、「明日を見つめて」(四十二年)を上演し、演劇活動をとおして農村の文化向上、民主化推進に貢献した。また、青年団の政治学習は民主主義の実現、社会改善運動となって地域に広がっていった。この運動は、同三十五年発足した若穂町連合青年団協議会に引き継がれ、「生活と政治の結びつきを知り、社会を改善する運動を進めよう」という運動目標になった。同六十年安保阻止闘争では、安保廃止を町民に訴えるなど積極的に安保問題に取り組んだ(機関誌『わかほ』創刊号)。

 いっぽう、戦後の混乱した社会からこどもたちを健全に育成するために、婦人会と児童委員会の働きかけによって昭和二十三年川田村連合子供会が結成された。子供会は自主的に地域の美化運動に参加した。敗戦の社会風潮に汚染されず、非行のない優良子供会として、翌二十四年には県下最初の知事表彰を受けた(『塚本誌』)。