三 村名「保科」の由来

931 ~ 932

 「保科」の地名は、『和名抄(わみょうしょう)』に「高井郡穂科郷」とある。このように「ホシナ」は古代からみえる地名である。宝亀(ほうき)五年(七七四)の紀年のある平城宮出土木簡に「□井郡穂科郷衛士(えじ)神人 養□六□宝亀五年」と墨書したものがある。以後、漢字表記は変わったが「ホシナ」の呼称は現代までつづいてきた。

 地名の由来について、『町村誌』には、俗里の伝えるところとして「井上忠長は悪星を射落としたので氏を星名と改めた。その矢の落ちた所を矢原、その悪星が落ちた所を星塚と言い、村名を改めて星名、または星無と言った」とある。保科郷はこの地に威を張った中世の豪族保科氏の発祥の地といわれている。その保科本家の家紋(かもん)が九曜星であることから、「ホシナ」の「ホシ」を「星」と結びつけて生まれた伝承であろう。また、信濃地名考には「穂科の穂は高き義也、保科・星名は借字也」とある。

 「科(しな)」は一般的には丘陵・段丘をさすことばという。保科地区は全般に高地で、保科川・赤野田(あかんた)川の川岸段丘に立地している。こうした地形からおして「保科」の地名は「高地にある河岸段丘」というところからついたのではなかろうか。