七世紀から八世紀にかけて築造された古墳群で、横穴式石室を用いて同一家族を追葬した古墳という。昭和四十二年(一九六七)若穂団地の造成にともない、緊急発掘調査がおこなわれた。一八基のうち一一基が積石古墳と確認された。一・七・九・一四・一六号の五基が団地内に現状保存されている。若穂団地公民館脇にある七号古墳は、古墳群の中心にあり、高さ三メートル、長径一二メートル、短径一〇メートルの積石塚である。石室構造の室長は四・三三メートル、幅二・三三メートル、天井石は二枚残っており、床面までは一・九五メートルである。金環・ガラス丸玉・鋏具(きょうぐ)・鉄鏃(てつぞく)・須恵器(すえき)の長頸瓶・細頸壺および、三体以上の人骨が出土している。