和田東山古墳群

934 ~ 934

この古墳群は、奇妙山系の蓮平(はなんだいら)から突出する勾配のゆるい尾根にある。平成五年(一九九三)市教育委員会の委託で明治大学考古学研究室が発掘調査をおこなった。その結果、前方後円墳三基、円墳三基が確認された。発掘調査をした三号墳は、墳丘全長四六メートル、後円幅二〇・五メートルと、この古墳群のなかでは最大規模の前方後円墳で、未盗掘古墳であった。竪穴式石室は長さ八メートル以上、幅約五メートルの墓壙(ぼこう)(墓穴)に収められ、石室内は長さ五・三メートル、幅平均一・二メートルあり、石室の周囲は平石で積み上げられていた。この石室の床面付近から、国内で作られた青銅鏡の「内行花文鏡」一面をはじめ、太刀・鉄剣・槍・鉄鏃・管玉・ガラス小玉、工具の「やりかんな」などが検出された。墳頂の盛り土部から高坏・低部穿孔壺(せんこうつぼ)などの破片と思われる土師器(はじき)の破片二〇〇点余りが出土した。古墳の規模や出土した副葬品から被葬者は、四世紀後半ごろ若穂を中心に千曲川右岸を支配した、地方豪族の一人ではないかと推定されている。