加増城跡

937 ~ 938

加増(かぞう)の西山頂、堀切山支脈の先端標高七六〇メートルに位置する。頂上に縦一二メートル、横七メートルの主郭が、左右山腹にあたる北側には深さ三・五メートル、幅九メートル、南側には深さ二・五メートル、幅九メートルの堀切跡がある。東側は急傾斜で、ゆるい傾斜の西側には二段の曲段郭、南東一〇〇メートルほどくだったところに水の手がある。築城年次、城主は不明である。この加増城跡南西二キロメートルほど、奇妙山の標高一一〇〇メートルあたりに奇妙山城跡がある。南・北は断崖、東は赤野田仏師(ぶっし)裏、西は急峻(きゅうしゅん)な松代大室谷の詰めである。構えは南北に土居(どい)があるだけである。崖下(がいか)に建武(けんむ)三年(一三三六)正月、信濃国守護軍が攻めた「英多庄(あがたのしょう)清瀧城」がある。奇妙山城の籠城者は保科氏らではないかといわれている。