保科村は元和(げんな)八年(一六二二)真田信之が松代に入封して以来、明治二年(一八六九)の廃藩置県まで二五〇年間松代領であった。松代領では、蔵入地(藩の直轄地(ちょっかつち))と藩士の知行地の混在している村が多かったが、保科村は蔵人地のみであった。藩行政区は「河東通(かわひがしどおり)」に属した。
一 村のようす
保科村は元和(げんな)八年(一六二二)真田信之が松代に入封して以来、明治二年(一八六九)の廃藩置県まで二五〇年間松代領であった。松代領では、蔵入地(藩の直轄地(ちょっかつち))と藩士の知行地の混在している村が多かったが、保科村は蔵人地のみであった。藩行政区は「河東通(かわひがしどおり)」に属した。