峰村時彦

957 ~ 957

須釜。本名を文左衛門、別号月庵(げつあん)。小泉春斎に漢籍を学ぶ。天保のころ俳諧に志し、江戸に出て菊守園見外(けんがい)の内弟子として修業。安政(あんせい)五年(一八五八)奥の細道のあとをたどり翌年『千まつしふ』を出版した。元治(げんじ)元年(一八六四)甲府の人びとに迎えられて同地に開庵。記念集『ことだね集』を出版した。当時の俳人番付に頻繁(ひんぱん)に名をみせ、宗匠としてかなりの知名度があった。晩年郷里に帰り、長野市城山に庵を結んだ。明治二十三年没。広徳寺に「色や香は夢なり蓮の枯姿」の辞世の句碑がある(『県俳人名大辞典』)。