農地解放

963 ~ 963

戦争は大きな犠牲を払ったが、平和と民主主義を国民は得た。農村を戦後大きく変革し、民主化を促進したのは、農地改革の断行であった。昭和四年の保科村小作地は一三七町歩余、全耕地のほぼ四割ほどあった。また、保科村の小作料は一反歩につき、田は「五斗入籾四俵」、桑畑は「繭四貫目」、普通畑は「麦一石二斗と大豆四斗」が相場(『上高井郡誌』)で、畑地はこれを基準に金納した。小作料は収穫高のほぼ半分になる。農地改革では、七九町歩余が小作人に開放され、小作率は一五パーセントと減少した。小作料も収穫高の五パーセント以下で、金納となった。この農地解放は、地主に隷属させられていた小作農民の身分開放にもつなかった。