過疎に悩む山間地集落

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地区全体では人口は増加しているが、過疎化の進行した山間地集落「高岡」「持者」もある。高岡は保科川の支流高岡川沿いに主要地方道長野菅平線から約一キロメートルほど入った標高六五〇メートルほどのところにある。途中には保科鉱泉湯元館がある。江戸時代は保科から仙仁(せに)峠を経て仁礼(にれい)へ、馬背(まぐせ)峠を越えて綿内山新田へ行く街道筋にあたり、安政(あんせい)三年(一八五六)に「高岡村三十五軒」とある(「松代領内村々家数留」)。終戦当時は都会からの疎開で五〇戸ほどあったという。昭和三十年代後半ごろから勤め人が多くなり、坂道の狭い道路は冬期の通勤を困難にし、過疎化が始まった。同三十七年三三戸・一七〇人、平成二年一九戸・七一人(市企画部統計)となり、同八年には集計区分から「高岡」「持者」の地名は消え、「保科温泉区」に組み込まれてしまった。


写真14 区有林の手入れ作業の説明に聞き入る区民(笹平地籍) (坂口馨提供)