保科地区の林野面積は、昭和二十四年に村有五三五ヘクタールあった。このほかに国有一三五二ヘクタール・民有一〇六七ヘクタール・寺社有七一ヘクタール(「県統計書」)あった。また、林業従事者も上高井郡内では一番多く、同二十二年の林業従事者は一四三人で、郡内林業従事者の二割を占めていた。また、三方を山地に囲まれ、保科川・赤野田川に左右されやすいこの地区の先人たちは、山野の保全・保安に心をそそいできた。この伝統は保科財産区によって現在も引き継がれている。
現在保科財産区は区有山林八五ヘクタール余・部分林(国有林の財産区の維持管理林野)七七ヘクタール余、分収林(財産区有林野を集落に貸与した林野)一五ヘクタール余を経営している。
昭和三十年保科村は全村上水道の計画を立て、外山(そでやま)集落の南側の湯原付近をボーリングしたところ、泉温三六度余の温泉が湧出した。そこで、村では噴出した湯原の湯を活用して温泉計画を立てた。同三十三年泉源開発委員会を設け、保科村直営の温泉宿舎経営を計画した。翌年国民宿舎永保荘(えいほそう)を竣工させ、若穂町発足によって保科財産区がその経営を引き継ぎ、今日にいたっている。長野駅前から保科温泉行きのバスも運行され、交通の便利もよいので若穂史跡巡りの起点として年々利用客も増え、宿泊客だけでも年間延べ二万人ほどに達する。 外山地籍には永保荘のほかに、明治十年(一八七七)創業した保科鉱泉湯元館がある。皮膚病・切り傷・火傷によく効くというので、湯治のために近郷の人びとに利用されてきた。今は高岡川の渓谷に臨んだひなびた旅情を求めて訪れる人も多い。