長野市と合併

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篠ノ井には市制の施行前から、長野盆地南部の一大拠点として発展しようとする構想があった。そのために市制施行後も川中島・更北(こうほく)・松代などの近隣町村との接触を深めていった。しかし松代にはまったく合併の意志はなく、更北・川中島も長野市との合併の意見の方が強かった。

 このような状況下にあった昭和三十八年(一九六三)、長野市から合併への打診があった。合併には商圏の問題で、商店街を中心に反対の動きがあった。しかし、財政上の問題と当時浮上していた国鉄の分岐点移転の動きを阻止することなどの必要から合併に踏みきり、昭和四十一年十月十六日正式に合併した。