布制神社 五明区下六反(しもろくたん) ①祭神 大彦命(おおひこのみこと)・豊受姫命(とようけひめのみこと)・建御名方命(たけみなかたのみこと)・八坂斗女命(やさかとめのみこと) ②由緒 社伝によると主神の大彦命(四道将軍の一人)は東国平定の本拠を瀬原田の長者窪(ちょうじゃくぼ)において、この地で没して埋葬された。のちにこの地方を開拓して布施郷(ふせごう)を拓(ひら)いた布勢朝臣(あそん)が祖先の大彦命を勧請(かんじょう)したという。延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)の布制神社(ふせいのかみのやしろ)であるという。元は諏訪大明神と称していた。寛政七年(一七九五)神祇管領長上卜部良連(じんぎかんれいちょうじょううらべよしつれ)から旧称の布制(ふせ)神社を称することが認可された。現拝殿は善光寺地震で倒壊後、嘉永(かえい)四年(一八五一)に再建された。
可毛羽神社 会(あい)区 ①祭神 建御名方命・八坂刀売命(やさかとめのみこと) ②由緒 古くからの産土神(うぶすなかみ)。口碑(こうひ)によるとこの地方開拓の祖可毛羽命(かもはのみこと)が開拓で心労のおり、祖父の建御名方命と会われ精気を取りもどされて祭ったという。治承五年(一一八一)の横田河原の戦いで社殿を焼失、さらに川中島合戦でふたたび社殿・古記録いっさいを焼失したという。天保(てんぽう)十三年(一八四二)に社殿を東向きに改築したという。もとは諏訪大明神といっていたが、明治十一年(一八七八)現在の社号に改めた。そのさい現在の大鳥居を建立した。岡山高蔭揮毫(こういんきごう)の五反幟(のぼり)がある。
更級横田神社 東横田区堀崎 ①祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)・建御名方命・大山咋命(おおやまくいのみこと)・火結神(ほむすびのかみ) ②由緒 横田下組の産土神。社伝によると藤長御厨(ふじながみくりや)の神明宮(しんめいぐう)であったという。横田河原の合戦で社殿を焼失した。寛延三年(一七五〇)社殿を修復した。諏訪社と称していたが、文政五年(一八二二)社号を更級横田(さらしなよこた)神社と改称した。しかしそのさい神明宮を合祀(ごうし)して、現存する大鳥居を建立したので、通称伊勢社とよばれていた。天保十三年台風で社殿が倒壊して弘化年間(一八四四~四八)に再建された。明治四十三年上組の日吉(ひよし)神社を合祀した。
幣川神社 御幣川(おんべがわ)区西側 ①祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと) ②由緒 口碑によると慶長(けいちょう)年間(一五九六~一六一五)、用水を開削中に五~六寸の八幡宮の彫文のある黄金の幣を発掘した。当時は住民も十数戸で産土神もなかったので八幡宮の降臨(こうりん)として奉嗣(ほうし)し、村名もこれにちなんで御幣川とした。正徳(しょうとく)のころ御神体が盗難にあい新しく金幣をつくり御神体としたという。寛保(かんぽう)二年(一七四二)の洪水で破損、宝暦二年(一七五二)再建。嘉永二年(一八四九)に改築。明治十二年社号を幣川(みことがわ)神社と改称。平成六年(一九九四)社務所・拝殿・鳥居を修復した。