新大払堰

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宝永元年(一七〇四)御幣川・布施五明・二ッ柳・篠野井の四ヵ村組合によって、新大払堰(おおはらいせぎ)がつくられた。それまで見六(みろく)橋の東で南流させ千曲川に放流していた悪水が、千曲川の川底の上昇で放流困難となったためである。新払堰は見六橋から東に、自然堤防と後背湿地帯との境目を掘りあげて、行(ぎょう)の橋地籍で上中堰に合流させたもので、現在も改修された古川堰とともに、悪水払いの大切な堰となっている。