篠ノ井地区の村々の村高の変遷は表2のようになっている。元禄十五年(一七〇二)の郷帳は正保(しょうほう)四年(一六四七)の村高のまま書き上げるのが原則だったが、布施五明と御幣川村では増加した高がわかる。五明は慶長期とくらべ五四石(六・三パーセント)、御幣川は正保四年にたいし一四八石(三四パーセント)も増加している。天保五年(一八三四)郷帳では実高を記すので、すべての村で増加している。とくに会・横田などの流末の村では五〇パーセント近くも増加している。布施高田村の伸びが少ないのは、開発が古く開拓の余地が少なかったためであろう。