農民の階層

23 ~ 24

農民は頭判(かしらばん)といわれる本百姓と、まとめて判下(はんした)といわれた別家(べっけ)・合地(あいじ)・加来(からい)・門屋(かどや)・帳下(ちょうした)等々の従属的農民に大別される。幕末には藩の新頭判百姓取り立て政策もあって頭判百姓は増えている。とくに地区の村々の増加はいちじるしい。天明八年(一七八八)と慶応四年(一八六八)をくらべると川中島通りの村々の増加が五パーセントであるのに布施五明では一四パーセントも増えて、八九パーセントが頭判となっている。布施高田も八八パーセント、御幣川(おんべがわ)と下横田は七六パーセントが頭判百姓である(川中島通りの村の平均六九パーセント)。

 頭判百姓が多いことが生活が楽であったということにはならない。しかし階層間の差が少なく、頭判への昇格に障害が少なかった地域であったと考えられる。