明治の大洪水

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御幣川ではその後も千曲川の洪水で大きな被害をうけている。明治以後だけでも十五年(一八八二)、十八年のあと、二十八年から三十一年のあいだは毎年被害があった。明治最大といわれる四十三年の洪水では栄村(御幣川・会・横田)で床上浸水四〇〇戸、全半壊一五〇戸の被害が出た。御幣川区民は大当(おおとう)道・見六(みろく)橋・小市(こいち)道に堤防水門板を立てて防いだが泥水は区内にあふれた。

 御幣川では明治三十一年岡田川や大払水路に高い堤防を築く案をつくって、県に助成を請願している。