千曲川の改修工事

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千曲川のあいつぐ洪水に大正六年(一九一七)県会が改修計画を決議した。この計画は横田区の一五六戸のうち一二〇戸を移転するものであったから紛糾がおき、村長が辞任する事態になった。後任の村長の選出も不可能となり、郡書記が職務管掌する事態になった。その後新村長が就任すると村民は一丸となって、郡役所・県庁はもちろん内務省・衆議院にまで数十回におよぶ請願をおこなった。

 その結果九八戸が移転、耕地・宅地八二ヘクタールのうち五〇ヘクタールが川敷として収容されることで決着した。ほかに日吉(ひよし)神社・観音寺などの堂宇や墓地二ヵ所が移転した。それでも耕地だけでも二〇ヘクタールがつぶれたので、やむなく北海道に移住した人もあった。移住した人たちは現地に通明小学校をつくっている。栄村ではこの工事に追加負担金を合わせて一万一八一円余を一六ヵ年年賦で納入している(千曲川工事事務所)。