大正二年(一九一三)更級郡役所が旧塩崎村篠ノ井から移転してきた。郡役所の移転では稲荷山(いなりやま)町との激しい誘致合戦があった。稲荷山町は篠ノ井線の開通のとき駅の設置を忌避(きひ)したための遅れを郡役所の誘致でおぎなおうと考えた。郡会では反対派の議員を缶詰にしたり、人力車をひっくり返すなどの争いもおきた。時の郡長津崎尚武(つざきなおたけ)は「信越線と篠ノ井線の分岐点で交通の要衝(ようしょう)」という点に着目、布施村への移転を県にも働きかけた。県会もこの線で議決した。この移転によって篠ノ井は、更級郡の政治・経済・文化の中心地となり大きな飛躍をとげることになった。
布施村は翌大正三年、町制を敷いて篠ノ井町となった。町民は郡役所の前通りを津崎町と名づけて郡長の功にこたえた。
郡役所の移転にともなって各種の行政機関や学校がつぎのように移転・新築された。
大正 三年 更級郡警察署が塩崎村から布施高田に移転。布施郵便局が篠ノ井郵便局となり、集配局となる。
大正 八年 篠ノ井土木出張所が更級郡役所内に置かれる。
大正 十年 長野県更級農学校が塩崎村から移転。高崎専売局篠ノ井官吏出張所設置される。
大正十二年 長野県更級高等女学校開校(大正十四年篠ノ井高等女学校と改称)。
大正十四年 組合立更級実科高等女学校開校(昭和八年篠ノ井高女に吸収合併)。県営篠ノ井競馬場竣工。
大正十五年 県立篠ノ井自動車学校開校。郡制廃止・郡役所閉鎖。
昭和 三年 篠ノ井町と栄村が合併。
昭和 九年 篠ノ井職業紹介所設置。長野県繭検定所篠ノ井支所設置。
昭和 十年 長野県経済部出張所設置。組合立中部青年学校開校(昭和二十三年新学制施行で廃校)。
昭和十七年 更級地方事務所設置。篠ノ井第二女学校開校(昭和二十三年被服高校、翌年篠ノ井高校に併合)。