工業の発展

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篠ノ井は鉄道交通の発達にともなって商業機能を増大させてきた消費都市で、工業の発達は遅れていた。昭和九年の工場は織物・染色工場が各八、製糸工場六、製麺(せいめん)五、瓦(かわら)・陶器四など合計三四工場である。製糸工場を除いては一〇人内外の規模である。組合製糸更級社(さらしなしゃ)(昭和六年設立)・若清(わかせい)製糸などの製糸工場六社には合計五四九人の従業員がいた。

 大規模な工場としては昭和十四年柄木田(からきだ)製粉が設立された。内陸部に珍しい製粉工場ができたのは、この地域が最高のうどん粉となる伊賀筑(いがちく)オレゴン種の小麦の産地であることに創業者が目をつけたことによる。伊賀筑オレゴン種は昭和十五年他の品種が一俵五円のとき五円七〇銭の値をつけている(『更埴地方誌』)。

 昭和十八年、前田建設篠ノ井機械工場が操業を開始した。犀川工事を請け負っていた前田建設が、犀川の豊富な砂利と将来も予想される開発工事に注目して土木機械の修理工場の設置を企画した。篠ノ井に設置したのは交通の便という観点からである。

 このように戦前の工業は地元に産する原材料にもとづいて発達した工業であった。