一九世紀前半の句集『花野集』に会(あい)の三一人の句が載っている。俳諧がさかんだったことがわかる。会の竹内月国(げっこく)(慶応二年没)は江戸で修行後、松代で武曰(ぶえつ)の冬日庵(とうにちあん)を継ぎ俳諧指導に尽力した。幕末には会の仙風舎亭山(せんぷうしゃていざん)がいる。仙風舎三世小林清次郎(大正十三年没)は『蕎麦(そば)の花』を出した。冬日庵五世、会の山岸松想(しょうそう)は俳句のほか郷土史も研究、その成果は昭和四十一年、『篠ノ井風土記』として出版された。
俳諧
一九世紀前半の句集『花野集』に会(あい)の三一人の句が載っている。俳諧がさかんだったことがわかる。会の竹内月国(げっこく)(慶応二年没)は江戸で修行後、松代で武曰(ぶえつ)の冬日庵(とうにちあん)を継ぎ俳諧指導に尽力した。幕末には会の仙風舎亭山(せんぷうしゃていざん)がいる。仙風舎三世小林清次郎(大正十三年没)は『蕎麦(そば)の花』を出した。冬日庵五世、会の山岸松想(しょうそう)は俳句のほか郷土史も研究、その成果は昭和四十一年、『篠ノ井風土記』として出版された。