敗戦は人びとの心と生活に大きな混乱をもたらした。軍国主義・国家主義の崩壊で今までの価値観は根底からくつがえった。民主主義が理解できずに起きる対立も生まれた。食料をはじめ生活必需物資が極端に不足し闇(やみ)売買が公然とおこなわれるなど、人びとは生きるのに狂奔する状態だった。
そんななかで昭和二十一年(一九四六)六月篠ノ井文化協会が結成された。文化講座・研究会・映画・演劇・音楽会・展覧会など多彩な行事を通じて、人びとの心に安らぎと希望をあたえた。戦争中南条(みなみじょう)に疎開していた小百合葉子(さゆりようこ)は昭和二十年「たんぽぽ劇団」を旗揚げし、県下の学校はもちろん全国の学校で公演した。ヒューマニズムあふれるその演劇は児童・生徒に大きな感銘をあたえた。昭和二十二年篠ノ井公民館が設立され、二十四~二十五年には各区にも分館が設置され社会教育の中心として活発な活動を展開した。