復興期の暮らし

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講和条約が締結された昭和二十六年、朝鮮戦争の特需景気で経済も復興して人びとの顔にも明るさがでてきた。『町勢要覧』で当時の町民の生活をみると、電灯が一世帯五灯、ラジオ一・三世帯に一台、電熱器三三世帯に一台、電話九世帯に一台、ミシンは三世帯に一台という普及である。乗り物は自転車が一世帯に一台、リヤカーが二世帯に一台、自動車は町全体でトラックが一一五台、乗用車は一七台にすぎなかった。篠ノ井水道の給水開始は昭和三十五年であった(水質悪く、三十七年より県営水道に切りかえた)。