しかし、これと並行して明るい要因も生まれてきている。それは昭和四十年代以後の団地造成による戸口の増加である。昭和四十四年、篠ノ井駅西に宮前(みやまえ)団地が造成され、新しい行政区宮前が誕生した。四十八年には御幣川(おんべがわ)区の西部にみこと川区が誕生した。昭和五十七年篠ノ井バイパス(現国道一八号)が開通した。これと直交するように主要地方道戸隠篠ノ井線が延長されると、沿線に各種の専門店が進出し、住宅も増加して同六十一年には合戦場(かっせんば)区が誕生している。
団地造成と同時に、御幣川・五明(ごみょう)などの旧市街地の周辺部の住宅化もすすみ、戸口はいちじるしく増加した。平成十一年の人口は一万九四四四人。昭和四十一年の人口一万二三〇九人(いずれも昭和五十年度まで篠ノ井地区であった昭和区・みこと川区をふくむ)とくらべて一・六倍の増加である。
さらに現在、篠ノ井駅西方の瀬原田(せはらだ)一丁田地区四五・二ヘクタールの土地に、平成十五年度の完成をめざして、第一期工事として八四〇戸・二四五〇人の居住予定の住宅と複合店舗用地や近隣公園の建設がすすんでいる。
鉄道線路が障害となって開発が遅れていた西部地域も、平成九年の篠ノ井駅西口の開設を機に開発計画がすすめられている。
篠ノ井はいま、交通都市・政治都市から脱皮して新しい発展をめざして躍動を始めようとしている。