塩崎(しおざき)地区は長野市域の善光寺平の最南端に位置し、北は耕地をもって篠ノ井地区の川柳(せんりゅう)(石川・二ッ柳(ふたつやなぎ))に、北東は同じく横田に、東は千曲川をへだてて更埴市屋代に、南は耕地をもって更埴市稲荷山(いなりやま)に、西は山地で信更地区の信田(のぶた)に接している。東西五・八キロメートル、南北二・三キロメートル、面積約八・一八平方キロメートルである。
塩崎西方山地の最高所は篠山(しのやま)で標高九〇七メートル、この篠山から北東へしだいに高度をさげて鳥坂(とつさか)峠(四二五メートル)に山塊(さんかい)がつづいている。ここから薬師(やくし)山(五六五メートル)にのぼる。篠山は篠山火山岩(鮮新世(せんしんせい)後期の火山噴出物)で大峰(おおみね)面上に残丘として残され、聖山(ひじりやま)安山岩の上を不整合におおっている。この下部の山塊は聖山安山岩(鮮新世中期五一〇~五七〇万年前、安山岩溶岩、火山角礫岩(かくれきがん))、斜面は裾花凝灰岩(すそばなぎょうかいがん)下部層(中新世後期小川層、一一五〇~六〇〇万年前、流絞岩溶岩、凝灰岩、凝灰角礫岩)、山麓(さんろく)は崖錐(がいすい)性および地すべり堆積物、平地は後背湿地(こうはいしっち)で石川条里の水田地帯である。千曲川左岸の自然堤防は微高地で、縄文時代晩期から平安時代にかけての遺跡が多数発掘されている。
東篠ノ井の見六(みろく)から、ほぼ南西に向けて、主要地方道長野上田線が集落のなかを通り、稲荷山駅の東で、南に向きを変えて更埴市へ通じている。塩崎の北西をJR篠ノ井線、長野自動車道が走り、さらにその北に市道二ッ柳塩崎線がある。稲荷山駅から、県道川口田野口篠ノ井線が鳥坂峠に通じている。
江戸時代の北国(ほっこく)街道は篠ノ井追分から南へ直進して、軻良根古(からねこ)神社付近の矢代(やしろ)の渡しで千曲川を渡っていた。善光寺道は追分から西へ、康楽寺・天用寺の前を通り、長谷(はせ)観音参道の入り口から中条をへて、稲荷山町に通じていた。塩崎地区は古代から信濃の国の南北を結ぶ交通の要衝であった。