区・大小区

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伊那県は管轄地域が広大で不便のため、明治三年(一八七〇)九月十七日中野県を設置し、塩崎は中野県にはいった。同四年四月戸籍法が制定された。六月中野県は県庁を長野に移し長野県となった。長野県は、十月、更級郡下旧塩崎知行所五ヵ村を長野県第一七区とした。翌五年四月十五日長野県は県下を七二区に分けた。塩崎は石川・二ッ柳・桑原(くわばら)・大田原(おおたわら)・稲荷山とともに第三四区に、七年七月第一四大区第六小区(九年八月北第一四大区第六小区)となった。