三新法時代

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明治十二年一月大小区を廃正し、郡村制となった。戸長は民選となり戸長役場を天用寺に置いた。三五人の村会を設置、筆生五人で村政を担当することになった。十八年三月、塩崎村ほか二ヵ村の連合戸長役場を欣浄寺に置いた。明治二十一年の市制・町村制により自治に耐える有力な町村を造成することになったが、塩崎は自治に耐える村としてそのまま独立村となった。九〇四戸、四五七七人の大村であった。以後昭和三十四年(一九五九)五月一日篠ノ井市に合併するまでつづいた。