塩崎の初見は応永七年(一四〇〇)大塔(おおとう)合戦のときである。小笠原長秀が逃げこんだのが塩崎城である。天正(てんしょう)十二年(一五八四)上杉景勝(かげかつ)は塩崎郷を塩崎村とした。「塩崎」という村名の由来を究めるのはなかなか困難で、いまだに確定的なことがない。塩は粘土(ねんど)地帯の所をいう(一志茂樹説)という。千曲川の後背湿地で粘土地帯である。いっぽう、「塩崎」という地名は、いっぱんには「海の潮の打ちよせる岸辺の鼻」を意味するが、この地には海はない。桑原村に塩野崎があり、「しほ気あり」稲が良く育たないところという。『塩崎村史』は、塩の荷の泊まり地、越後塩の舟の荷下ろし地、自然堤防の長く突きでたところなど諸説があるとしている。