四 戸口の移り変わり

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 塩崎村の人口の初見は宝永三年(一七〇六)で、三〇五軒、うち本百姓二九七軒、水呑(みずのみ)八軒、人数一四五六人であった。家数はその後増加し、文化七年(一八一〇)には六七四軒となった。うち本百姓五三〇軒(七九パーセント)、水呑百姓一四四軒(二一パーセント)と本百姓が減少し分家が増えた。本百姓の持ち高平均は、宝永三年の八石五斗から文化九年には四石八斗と減少した。明治四年(一八七一)七三七戸、三二九七人、一世帯平均四・五人、大正五年九六九戸、五八〇〇人、一世帯六人で最高となった。昭和に入って減少し、昭和十五年(一九四〇)九〇一戸、四五六一人となり、明治二十一年ころと同じになった。農業恐慌で都市や満州へ移動したためという。

 昭和二十年は一二一〇戸、六五八五人と最高を記録した。戦争で疎開した人が増加したためである。

 その後ふたたび減少に転じたが、四十二年に庄ノ宮団地、五十二年に明戸団地に入居が始まり、その後四之宮、東篠ノ井の区画整理事業で団地が造成され、アパートもできて増加に転じた。平成十一年(一九九九)十月一日には一八六一世帯、六一三六人となり、明治四年とくらべ戸数は二・五倍、人口は一・九倍になった。


表1 塩崎村戸口の変遷