長谷(はせ)・鶴前遺跡群

53 ~ 54

長谷(はせ)・鶴前遺跡群は篠山(しのやま)山系の緩やかな東向き斜面上の四野宮・長谷・越(こし)にある。昭和六十二年(一九八七)から平成元年(一九八九)まで長野自動車道建設に先だって発掘された。鶴前遺跡は稲荷山(いなりやま)駅の西南一・二キロメートルの緩やかな傾斜地に位置する。出土遺物からは旧石器時代から近世までとぎれない生活の痕跡を見いだすことができた。旧石器時代では黒曜石のナイフ形石器一点が出土。縄文時代前期の住居跡一軒、晩期終末の土器などが出た。弥生時代後期から古墳時代初頭では住居跡二四軒を検出、北陸系の土器が多く見られる。奈良・平安時代では住居跡二六軒、掘立柱建物跡九棟など、中世以降は掘立柱建物跡と、井戸跡などがある(『中央道長野線埋蔵文化財報告一四』。以下、中央道一四のように略記)。


写真1 市史跡鶴萩古墳