長野道長谷トンネル北口の字白助にあり標高約三八〇メートルの地点である。岩陰では、弥生中期前半の土坑(どこう)から五体分の焼人骨、古墳中期の土坑から土師(はじ)器、やりがんな、管玉(くだたま)などが出土した。また六世紀半ばころの須恵(すえ)器、骨鏃(こつぞく)、鉄鏃、ガラス小玉などを検出した。岩の上から古墳中・後期の土師器と滑石製有孔円板が出土した。長野県下では稀有(けう)な古墳時代の巨岩祭祀遺跡である(中央道一三)。
鶴萩七尋(つるはぎななひろ)岩陰遺跡
長野道長谷トンネル北口の字白助にあり標高約三八〇メートルの地点である。岩陰では、弥生中期前半の土坑(どこう)から五体分の焼人骨、古墳中期の土坑から土師(はじ)器、やりがんな、管玉(くだたま)などが出土した。また六世紀半ばころの須恵(すえ)器、骨鏃(こつぞく)、鉄鏃、ガラス小玉などを検出した。岩の上から古墳中・後期の土師器と滑石製有孔円板が出土した。長野県下では稀有(けう)な古墳時代の巨岩祭祀遺跡である(中央道一三)。