塩崎遺跡群は千曲川左岸、聖川(ひじりがわ)を境にして西方の南北約七キロメートル、東西最大幅六〇〇メートルの微高地である。千曲川は松節(まつぶせ)で大きく南東に向きを変え、篠ノ井の横田まで幅六〇〇メートル、長さ五キロメートルにおよぶ自然堤防が発達し、この自然堤防上に縄文時代晩期から現在にいたるまでの各時代に集落が営まれていた(市埋文四四)。主な遺跡には南から、松節・中条・伊勢宮・一本木・散畑屋敷・塩崎小学校・殿屋敷・山崎の各遺跡がある。
塩崎遺跡群
塩崎遺跡群は千曲川左岸、聖川(ひじりがわ)を境にして西方の南北約七キロメートル、東西最大幅六〇〇メートルの微高地である。千曲川は松節(まつぶせ)で大きく南東に向きを変え、篠ノ井の横田まで幅六〇〇メートル、長さ五キロメートルにおよぶ自然堤防が発達し、この自然堤防上に縄文時代晩期から現在にいたるまでの各時代に集落が営まれていた(市埋文四四)。主な遺跡には南から、松節・中条・伊勢宮・一本木・散畑屋敷・塩崎小学校・殿屋敷・山崎の各遺跡がある。