市道篠ノ井南二三五号地籍

55 ~ 55

弥生中期の四九号住居跡からは縄文晩期氷式系の浮線文土器、細密条痕をほどこした土器片が出土した。この時期に水稲栽培の適地を求めて弥生人が在地の縄文人と接触しながら千曲川自然堤防上に集落を構えたことが明らかとなった。また打製石斧類(石鍬(いしくわ))、凹石(くぼみいし)などの石器類が出土した。中期後半の住居跡が四軒、後期では箱清水式土器が出ている(市埋文三九)。