聖川堤防地点

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居住跡をみると弥生前期~中期前半七軒、中期後半一八軒、後期七軒、古墳時代一五軒、平安時代七二軒である。ほかにこれらの時期の溝二六本、土坑九〇基がある。集落の形成は縄文晩期終末の浮線文系土器の時代にさかのぼる。黒漆で鋸歯文(きょしもん)を描いた弥生中期の赤彩浅鉢、弥生後期の墓壙(ぼこう)から出土した鉄釧(くしろ)、鉄鏃、布が付着した鉄剣などが注目される(市埋文四六)。