縄文晩期から平安時代におよび、住居跡八〇二軒、掘立柱建物四九棟、墓三八基、土坑・井戸跡二三七七基などを検出した。弥生中期の一〇体以上の人骨を再葬した墓、弥生後期の環濠(かんごう)集落の溝もあった。古墳時代前期では多数の土器や木製品とともに木製高坏・漆製品・ひょうたんが出土した井戸があり、珠文鏡・管玉とともに、琥珀(こはく)玉五〇点以上が出土した墓がある(中央道一六)。
高速道地点
縄文晩期から平安時代におよび、住居跡八〇二軒、掘立柱建物四九棟、墓三八基、土坑・井戸跡二三七七基などを検出した。弥生中期の一〇体以上の人骨を再葬した墓、弥生後期の環濠(かんごう)集落の溝もあった。古墳時代前期では多数の土器や木製品とともに木製高坏・漆製品・ひょうたんが出土した井戸があり、珠文鏡・管玉とともに、琥珀(こはく)玉五〇点以上が出土した墓がある(中央道一六)。