五 祭りと若者連

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 慶長五年(一六〇〇)に花火をつくる方法を写したという記録があるので、花火は早くから祭りにあげられていた。「延宝年中(一六七三~八一)、花火法、町若者」とあり、祭り執行者は若者であった。祭礼興行は宝暦(一七五一~六四)から天明(一七八一~八九)までは花火が主で、寛政(一七八九~一八〇一)から文化(一八〇四~一八)ごろ太神楽(だいかぐら)が入り、天保(てんぽう)(一八三〇~四四)ごろもっともさかんになった。相撲もこのころからおこなわれた。平久保組には天保十五年の若者取定書がある。