明治五年(一八七二)学制がしかれると、翌六年八月康楽寺に塩崎学校を設立し、長谷・欣浄寺に派出所を置いた。十一月塩崎学校(上町組・四之宮組・角間組・山崎組)を康楽寺に、長谷学校を元長勝寺に設立した。十二月興譲学校(篠ノ井東組・篠ノ井上組・平久保組・下石川組・二ッ柳組)を作見に新築、同十九年小学校区画改定により、長谷・興譲学校を廃止し塩崎学校に統合した。同三十四年塩崎小学校、川柳(せんりゅう)小学校となった。同四十年高等科を設置し塩崎尋常高等小学校となり、翌四十一年町屋敷の現在地に二階建ての校舎を新築した。
明治三十二年塩崎村ほか三ヵ村組合立高等小学校を設立、三十九年組合立篠ノ井乙種農学校を設立、翌四十年両者を廃止して更級郡立乙種農学校を設立した。明治十二年更級郡役所を欣浄寺に設置(四十五年布施村へ移る)。明治二十三年一郡一警察となり、翌年塩崎警察署を上篠ノ井に設置(大正六年篠ノ井町へ移る)、塩崎村には二ヵ所に駐在所がおかれた。更級郡の中心の施設が設置されたのである。