明治のはじめから昭和三十年代まで、四〇〇から五〇〇町歩を上下していた。昭和五十年三五〇ヘクタールとなりその後は減少に転じ、平成七年には二四四ヘクタールとなり、この二〇年間に約四〇パーセント減った。これは昭和四十年ごろから耕地の宅地転用、五十年ころからの農業の労働力不足による耕作放棄、道路開削などによる。
平成七年田のある農家四八七戸のうち、つくる農家四五八戸の七四ヘクタールは、昭和二十八年の一七四ヘクタールにくらべ四二パーセントに減じている。普通畑も平成七年四九ヘクタールで、昭和二十八年の二四四ヘクタールの二〇パーセントになった。果樹園は昭和二十八年六三ヘクタール、五十年に一一二ヘクタールに増加したが、その後横ばいに推移してきた。桑畑は昭和二十八年五四ヘクタールあったが今はなくなった。