三 文化の進展と公共施設

85 ~ 86

 塩崎小学校など 終戦後の昭和二十二年(一九四七)塩崎国民学校は、塩崎小学校・塩崎中学校となった。塩崎中学校は昭和三十八年篠ノ井西中学校に統合され廃校となった。小学校は同五十五年三月鉄骨づくりの近代的校舎に改築された。塩崎小学校の南側に篠ノ井塩崎児童館がある。この児童館は昭和五十九年四月十日開設され、定員は三〇人、小学校一~三年生が入所している。この西側に塩崎保育園がある。昭和二十七年六月一日東篠ノ井地区に季節保育所として開設され、その後村内数ヵ所に開設されたが、数度の統廃合があって平成六年(一九九四)塩崎保育園に統合した。

 グリーン長野農業協同組合 篠ノ井農協塩崎支所 戦時中農業会だったが、昭和二十三年塩崎村農業協同組合と名称変更した。同三十九年篠ノ井・塩崎・川柳(せんりゅう)・信里(のぶさと)・共和・東福寺・西寺尾の七組合が合併して篠ノ井市農協となり、塩崎事業所となった。平成六年更級郡、松代地区、平成十年若穂地区の組合を統合してJAグリーン長野農業協同組合が結成され、その塩崎支所となった。塩崎支所は正組合員六九七戸、准組合員個人三二五戸・団体七、計一〇二九戸の大世帯で、地域内の農業の振興にあたっている。

 塩崎郵便局 明治五年(一八七二)篠ノ井郵便御用取扱所として開設した。その後幾多の変遷をみて、大正三年塩崎郵便局となりこんにちにいたっている。稲荷山駅前郵便局は大正十年十月六日稲荷山駅前に開設したが、昭和三十八年八月一日現在地に移った。

 稲荷山駅 昭和六十年三月二十一日無人駅となり、六十二年四月一日から業務を委託した。

 篠ノ井消防署塩崎分署 平成三年四月一日開設した。署員一三人。別に篠ノ井消防団第七分団がある。

 長野南警察署長野市塩崎警察官駐在所 塩崎村には二ヵ所に駐在所が置かれたが、昭和二十三年塩崎村巡査駐在所一ヵ所となる。昭和四十六年長野南警察署長野市塩崎警察官駐在所と改称、五十六年現在地に移転した。

 高速道 昭和四十六年に中央自動車道長野線の基本計画が発表され、同四十八年三月塩崎地区で説明会が開かれた。予定されていたインターチェンジがなく優良農地がつぶされる、地区が分断されるとして四十九年に期成同盟会を設置して反対をした。柳原市長が高速道とバイパスの二階建て案を提案して、五十七年十月公団ルートの受け入れ決定、六十三年塩崎地区に一番杭が打たれ工事開始、平成五年三月二十五日開通式を挙行した。この工事で失った土地は一九四ヘクタール、うち水田は六九ヘクタールであった。

 塩崎文化財保存会 昭和五十四年設立。長谷の荒井藤四郎の収集品と会が所蔵していた石器、土器(市指定)と古文書などを、平成三年塩崎小学校旧音楽堂を改造して展示し、地域の文化財の保存に役立てている。また、昭和五十七年から石造文化財を調査してきたが、同六十三年『塩崎の石造文化財』として発行した。