明治二十二年(一八八九)四月一日、わが国の市町村を新たに再編する市制・町村制が施行された。これによって小松原村と岡田村は合併し、新しい岡田村が発足した。この合併について両村ともはじめはかなり苦慮した。小松原村へは連合町村制の連合村である今里村・上氷鉋村・四ッ屋村との合併案が示され、岡田村へは布施五明村との合併案が諮問された。これにたいし小松原村は砂防費など特別費用を要することを理由に、一村独立を希望した。岡田村は諮問に賛成したが、布施五明村が旧通明学校組合の五ヵ村か、岡田村に布施高田村を加えた三ヵ村の合併を希望した。しかし、再諮問でも小松原村へは当初の案どおりの四ヵ村の合併案が示された。いっぽう岡田村のほうへは布施五明村の希望をいれ、布施高田村を加えた三ヵ村の合併案を示した。これについて小松原村も岡田村も反対し、「地形相接続シ人情・風俗亦(また)相同ク」する両村の合併を希望した。このため最終的には小松原村と岡田村の合併が認められ、戸数四八三、人口二六七七の新しい岡田村が誕生した。翌二十三年五月十七日に村名を共和村と改めた。