昭和二十八年(一九五三)九月町村合併促進法が公布され、共和村は同年十二月二十一日各種団体長を委員とした合併研究協議会を開いた。共和村は南北に長いため南部は篠ノ井町と、北部は川中島村との合併を望んでいた。しかし岡田川の砂防工事や中学校増築問題などとからみ、しだいに篠ノ井町との合併に傾いていった。
昭和二十九年二月二十五日臨時村議会では「篠ノ井町共和村合併促進協議会」の設置を議決した。このころ村内には合併への不満も起きたが、斡旋(あっせん)案が出され解消し、同年五月二十四日篠ノ井町と共和村の議会は合併関係議案を議決し、同年七月一日篠ノ井町と合併した。六五年間つづいた共和村は篠ノ井町共和地区となった。