明治二十二年(一八八九)四月の市制・町村制施行にともなう小松原村と岡田村の合併村名は「岡田村」である。当時、岡田村にした根拠は「大村ノ名称ヲ取用ス」ということであった。合併時の両村の反別・戸数・人口は小松原村三一三ヘクタール余・二〇一戸・一一二六人。岡田村三八三ヘクタール余・二八二戸・一五五一人である。更級郡内の合併村のなかで大村の名をそのまま村名にした村は九ヵ村と半数近くあった。しかし、岡田村は翌年五月十七日には「共和村」と改称した。上氷鉋村も「笹井村」にし、同月二十四日に横田村・会村・御幣川村が合併した御幣川村は「栄村」と改称している。改称の理由は小村がわの希望からであるという。
改称した「共和」はともに仲良くという意味である。小松原村と岡田村は大小区制や連合町村制でも同じグループにはならなかった。市制・町村制による合併案の諮問も再諮問も別々の村との合併であった。しかし、再諮問の答義では岡田村も小松原村も相互に両村の合併を希望しあっただけに意義深い命名であった。