遺跡の分布と遺物

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共和地区には光林寺裏山遺跡・湯沢尻遺跡・中尾山遺跡・寺内(てらうち)遺跡・新田遺跡がある。これらの遺跡は縄文・弥生・平安のいずれかの時代か、いくつかの時代にまたがって台地や山腹、山麓(さんろく)などに分布している。

 共和地区の古い遺跡に新田遺跡がある。縄文前期の石鏃(せきぞく)・石匙(せきひ)・石錐(せきすい)が出土している。また、寺内遺跡・湯沢尻遺跡からも縄文期の打製石斧(せきふ)・石鏃が出土している。寺内遺跡・湯沢尻遺跡・中尾山遺跡からは材木加工具の一種といわれ、生活用具や農具の製作に役立った太形蛤刃(ふとがたはまぐりは)石斧が出土している。光林寺裏山遺跡からは明治三十五年(一九〇二)五月に、蓋付壺(ふたつきつぼ)一、勾玉(まがたま)四、細形管玉(くだたま)一〇五、鉄斧(てっぷ)五、鉄刀(五三・六センチメートル)一、鉄剣(四二・四センチメートル、六七・六センチメートル)二を採集した。壺の大きさは口径六・二センチメートル、胴部最大一〇・七センチメートル、器高六・二センチメートル、丹彩(にさい)の箱清水式土器である。首長層の権力の強さや鉄器の普及を知る貴重な遺物である。同三十六年三月東京帝室博物館(現東京国立博物館)に寄贈されている(『更埴地方誌』)。

 平安期の遺跡には寺内遺跡がある。土師器(はじき)・須恵器(すえき)・灰釉陶器(かいゆうとうき)が出土している。また、平成六年(一九九四)六月新幹線布設のため発掘された築地遺跡は、平安期を中心にした住居跡二五ヵ所がみつかり、かまど跡や住居の仕切り溝を確認した。また土師器・須恵器・耳皿・硯(すずり)なども出土している。