四 石造文化財

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 共和地区の石造文化財は、『長野市の石造文化財』によれば三八六基。そのうち巡拝塔一〇九・六地蔵五四・石灯籠(とうろう)三五・石祠(せきし)三四・地蔵菩薩二三などが多く、ついで馬頭観世音・道祖神・庚申(こうしん)塔などがある。巡拝塔では文化九年(一八一二)の天照寺の百番観音(秩父・坂東・西国三十三ヵ所巡拝塔)一〇〇基が羅漢(らかん)堂と墓地に並んでいる。

 共和地区は平坦地の割りに馬頭観世音が一八基と多く、うち南組に一一基もある。道祖神はどの集落にもある。笠付角柱青面金剛立像の庚申塔は大日堂(段ノ原)と観照寺に、また線刻の庚申塔が新田にある。共和地区には徳本行者の六字名号碑が天照寺・中組・南組・前河原・光林寺・大門と六基もある。徳本は文化十三年(一八一六)五月十日から十二日まで光林寺に滞在し、名号碑の開眼供養や名号札を配布している。前河原の碑には操穴堰(くりあなせぎ)の開さくに貢献した吉岡運右衛門の戒名の二字「孝昌」が刻まれている。徳本の弟子に段ノ原出身者がいる。中村与惣右衛門の息子は文化十一年七月剃髪(ていはつ)し本悦という。清誉浄心は同十三年五月段ノ原の兵右衛門宅で剃髪している。新田のしょなら山にはさまざまな石像が二〇基ほどおかれている。石像には天武神・生身(しょうじん)八幡・粟嶋(あわしま)大明神・大岡越前守公・上田城主松平伊賀守忠周(いがのかみただちか)公などと刻まれたいろいろの形の碑がある。修那羅系の土俗信仰の霊場である。新田では「ショナラ様」と呼んで、戦前までは十月十日に御幣(ごへい)を新しくしてお祭りをしていた。

 そのほかには子安観音が玄峯院に、びんずる像が天照寺にある。また集落には赤地蔵があり、地元の信仰を集め祭りをおこなっている。


写真4 しょなら山のショナラ様