二つの藩

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元和(げんな)八年(一六二二)小諸城主仙石忠政(せんごくただまさ)は上田に移り、上田城主真田信之は松代に入封(にゅうほう)した。小松原村はこれから約二五〇年間、松代藩真田氏の支配下におかれた。いっぽう岡田村は上田藩の川中島飛び領(八ヵ村)となり、仙石氏に統治された。宝永三年(一七〇六)仙石氏は但馬(たじま)国出石(いずし)(兵庫県出石郡出石町)の松平忠周(ただちか)と領地替えになった。上田へ入封した忠周が享保(きょうほう)二年(一七一七)京都所司代、ついで老中職になると、岡田村は幕府領となった。同十五年、忠周の子忠愛(ただざね)が上田藩主になると、岡田村はふたたび上田藩の川中島飛び領(五ヵ村)にもどった。小松原村と岡田村はそれぞれ違った領分で、明治四年(一八七一)の廃藩置県までつづいた。